こんにちは。会議通訳のあひるです。
私は元々海外未経験。社会人になってから英語を習得して会議通訳になりました。
通訳になったということはもちろん(ある程度は)英語はできるはず。それでもしばらく,実は通訳になってからでさえも,英語は自信を持てなかったんです。その根底にあったのが,英語信仰の罠。今日はそんな話です。
どうしても英語に自信が持てない会議通訳
私が『英語キライ』から通訳になるまでの学習というか修羅場というか貴重な体験あれこれは 私が通訳になるまで全4回で書いたとおりです。
でも少なくとも私にとって,『英語がある程度できるようになる』ことと『英語に自信がつく』ことは全くの別物でした。
がっつりフルタイム専業通訳になった頃。通訳としてお仕事を頂けていて,訳せば特に文句も言われず,次も呼んでくださる。多分,英語力も通訳スキルもそこそこついていたはず。
だけどどうしても自分の理解に自信が持てない。自分が常に間違えているような気がするのです。
私がこれを本当に克服できたのは,フルタイム専業通訳になって5年ほど経った頃でした。
日本で英語を学習することの真の罠
私は元々海外経験がなかったわけですが,やはり英語を学び始めてから,通訳になってから,常にそれはコンプレックスになっていました。
特に思うように伸びない時。やはり自分は海外経験がない,文化的背景を知らない,インプットが足りない。できない原因をそういうことに求めがちだったんです。
でも英語を学び,通訳を始め,そのコンプレックスを克服して気づいたこと。日本で学習することの本当のマイナス面は決して英語のインプットの質などではない。
ものすごく言い方が悪いことは承知です。それでも誤解を恐れずに言うならば,私は英語圏のアホに会ったことが無かった。それから英語信仰の罠を抜け出すには,相応の時間がかかりました。
日本で出会うスマートな英語
日本で英語を勉強しようとすると,まずは学校の教科書や市販のテキスト,英会話スクールなどでしょうか。どれも学習者の学びになるような厳選された素材です。
子ども向けであれば,とかく楽しいコミュニケーション。児童向けであれば,心温まる物語。大人向けであれば,最新の社会情勢や技術動向や時事,そしてそれに関する考察などでしょうか。
英語を学ぶとなんて高尚で崇高な文化に出会えるのかと感じるものばかりです。
日本で出会うスマートな外国人
そして,日本で生活していて出会う外国人。
私は社交性というものが完全に欠落した状態で生まれてきたので,街を歩いている旅行者と突然話す,などということはまずありません。
日常生活でお会いする海外の方というのは,そもそも選んで日本に来た人たちです。
生涯の宝となった海外の友人たち
大学生の時に仲良くなった留学生の皆さん。
世界各国からいらしていましたが,日本についても自国についても本当に深い知識と洞察をお持ちで日本語も完璧。話しているだけで楽しく,たくさんのことを学びました。
今でもつきあいのある方は多く,海外に行く機会があれば再会を楽しみます。
そういった立場で日本に来ていたのは国費留学生,つまり各国の国を代表するような大学で選抜されて交換留学生として日本に来ていた方か,もしくは私費留学生であっても教育にそれだけの投資をする国なりご家庭なりご自身の努力なりの環境があった方。
日本に留学することに相応のモチベーションがあり,それを乗り越えて来日し,長い時間を過ごしてさらに日本に対する造詣を深めていった方々。本当に優秀な方に多く出会いました。
企業でお会いする尊敬するビジネスパーソン
そして,日本の企業にいらしている外国人。
日本の一般的な企業,特に大企業でお会いする外国人というのは,海外から送られてきた本社の重要人物だとか,現地法人のキーパーソンのような経験豊富なビジネスマンばかり。
知識も経験もとても豊か。さらに海外に派遣されてくるような方々ですから,異文化でのコミュニケーションに長けた方も多い。
職業柄日々いろいろな方にお会いしますが,仕事の仕方や生きる姿勢を含め,本当にいろいろと学ばせて頂いています。
通訳スクールで出会う崇高なスピーチの数々
そして私の英語力の基礎を作りあげた通訳スクール。
通訳スクールに通ったのはいわゆる日常会話,簡単な教材などはマスターして『学習者用』を超えて『本格的な英語』を身につけたいと思ったタイミング。
そのような場所ですから,素材となるのは重要な国際会議や含蓄のあるスピーチばかり。
通訳スクールでは,瑣末な枝葉に囚われずにしっかりと話の筋,流れを追うよう厳しく指導されます。
そしてそれはごもっとも。なぜなら通訳スクールの素材に選ばれるようなものは論理展開や話の筋がしっかりしているので,きちんと聞き取れれば絶対に理解できるものばかりだからです。
世にも恐ろしい英語信仰の罠
しかし当然のことながら,母国語が日本語だろうと英語だろうとフランス語だろうとチェコ語だろうと,ごもっともなことを仰る人もいれば意味わからないことばかり仰る人もいます。
これを日本で純粋培養的な英語漬けになるとどうなるか。
なんとなく心の底には,『英語話してる人みんなすごい』みたいな無意識の思い込みが育ち,『(しっかり聞けばわかるはずのものが)わからないのは自分のせい』みたいなコンプレックスが育ちます。
さらに,英語で話す場面というのはおそらく相手は異なる文化圏の方でしょう。そもそもお互いの常識はとんでもなくずれています。
このような状態で『お勉強』を超え,日常生活としての英語の大海に飛び込むとどうなるか。
少しでも自分の予想を超えたこと,もっと言えばおかしなことを言われると,そんな変なことを英語で言われているはずがない,という無意識のバイアスが働きます。そしてこう思うんです。『あぁ,また英語が聞き取れなかった』と。
これ,海外経験がないと意外とありがちだと思うんです。そもそも国際経験がないので,国外のリアルを知らない。そうすると,自分の常識を超えたことを言われると,突然耳が聞こえなくなる。
こんな英語信仰の罠,以前の私も知らないうちにしっかり陥っていたのだと思います。
英語がわかると世界がわかる,の真の意図
よく,英語がわかると世界がわかる,といったことが言われます。誠に真理だと思います。
しかし以前の私が思っていたような,アクセスできる英語の質などでは決してない。
言葉にすると当たり前すぎるのですが,(教科書などの『お勉強』を超えて)自分の身をもって英語を使い始めることで,世の中にはいろんな人がいる,もっと言えば変なこと言っている人がいっぱいいる,この身体感覚を掴めることです。
私自身もこの身体感覚の変遷は身をもって感じていて,海外に行くたびに感じます(一例はこちら:Happy early Canada Day!)
今時このご時世ですから,日本にいても海外メディアどころか地球の裏側の女子高生の呟きまで瞬時に読めるようになりました。
言葉を獲得すると,本来ならそれだけ世界が広がり,多様な経験ができるはず。でもちょっとした思い込みで自信をなくしてしまっていると,見えるはずのものが見えなくなり,聞こえるはずのものが聞こえなくなってしまう。
この思い込みを取り払えると,一気に解像度が上がる気がするのです。もしよければ,一度ご自身も振り返ってみてください。一緒に頑張りましょう,Bon Voyage!
